ダイスマネージは「売上UP!のお手伝い」をする
飲食店コンサルティング会社です
「料理を作る腕はあるが経営や宣伝、また人財育成ができない。」「最近売上が落ちてきた。」「飲食店を始めたが全くうまく行かない」そんな店主様からよく相談を受けます。私たちダイスマネージはそんな悩めるお店の「売上UPをお手伝い!」する飲食店コンサルティング会社です。
開店支援から業態変更、メニュー開発や企画提案など飲食店の総合アドバイスはもちろん、人材育成、目標達成のサポートに力をいれ、マネジメントにコーチングというスキルを活用しています。
私たちのやり方は過去の数字の検証ではなく、「未来に向けた策を提案」「現場に入り込んだコンサルティング」をモットーとし、机上論議より現場感覚を大事にしています。 飲食経営でお悩みの皆様!一人で悩まず、まずはご連絡ください。
会社概要
社名 | 有限会社 ダイスマネージ |
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住所 | 〒590-0078 大阪府堺市堺区南瓦町1-20リーフリーフ2F |
TEL | 072-221-2951 |
FAX | 072-221-2950 |
info@dicemanege.com | |
URL | http://www.dicemanege.com/ |
代表取締役 | 山田 光一 |
事業内容 | 飲食店業務総合支援
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資本金 | 1000万円 |
従業員数 | 22名 |
主要取引先 |
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事業沿革
2004年 (平成16) |
8月 | 堺市 焼鳥店の不振店再生を受託 |
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12月 | 堺市美原区にて有限会社ダイスマネージを設立(資本金300万) | |
2005年 (平成17) |
3月 | 神戸市飲食チェーンの不振店再生を受託 |
「焼酎と鮮魚の店千尋の道」の飲食店運営代行を受託 | ||
5月 | 飲食店メニューや季節メニューの商品開発事業を開始 | |
11月 | 圧力式焼き栗「焼ポン」イベント会場にて出店⇒「大阪キング」「サマーソニック」など | |
12月 | 開店支援・開業プロデュースを開始 ⇒「海鮮居酒屋」「足湯居酒屋」など | |
西日本初となる「足湯居酒屋極楽食堂」をプロデュース | ||
2006年 (平成19年) |
3月 | 直営店「生もんや生右衛門」を大阪道頓堀に開店 |
5月 | 日本フードアナリスト協会「フードアナリスト」所得/2011.01現在認定講師・認定箸講師 | |
10月 | 直営店「生もんや生右衛門」を拡張しリニューアル | |
2007年 (平成20年) |
6月 | 直営店「さくっと呑める立ち飲み屋さくっとばんざい」を大阪お初天神に開店 |
業務委託店「たこやきらぼ」を大阪なんばこめしるしに開店 | ||
2008年 (平成21年) |
3月 | (財)生涯学習開発財団「認定コーチ」を所得、人材育成業務・会議ファシリテート業務を開始(2011年現在プロフェッショナルコーチ所得 述べクライアント56名・述べクライアント企業7社) |
11月 | 業務委託店「無国籍バイキンググランアルディ」と「福井バーガーカフェチャドウ」を福井県商業施設「アオッサ」内フードコートにて同時開店 | |
12月 | 業務委託店「焼酎と鮮魚の店千尋の道」を業態変更、「生もんや千尋の道」としてリニューアルオープン | |
2010年 (平成22年) |
10月 | 飲食店向けの販売促進事業を開始 |
2011年 (平成23年) |
1月 | 食べログ正規代理店となる |
3月 | 直営店「生もんや生右衛門」を兵庫県西宮甲東園に開店 | |
2012年 (平成24年) |
2月 | T-POINT加盟営業代理店となる |
3月 | 堺東営業所を開設 | |
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2013年 (平成25年) |
11月 | 本社を大阪府堺市堺区南瓦町に移転 |
2014年 (平成26年) |
2月 | 食専門のコンサルティングサービスサイト「みんながフードコンサルタント」で経営革新計画承認を取得 |
11月 | LINE@登録代理店となる | |
2015年 (平成27年) |
7月 | 「Bubble90」販売代理店となる。 |
2016 年 (平成28年) |
2月 | 「ヒトサラ」正規代理店となる |
2016 年 (平成28年) |
11月 | 「LINEバイト」登録代理店となる |
2017年 (平成29年) |
3月 | 「コーフンのすし酢ちゃん」を商品化 |
2018年 (平成30年) |
6月 | IT導入支援事業者に認定 |
2018年 (平成30年) |
9月 | バイトル マイナビをはじめ求人媒体取り扱い開始 |
2018年 (平成30年) |
8月現在 |
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経営理念
私たちは「食」を通じ、世のすべての人に貢献し、いままでの常識にとらわれず、
常に情報管理し、自分自身の向上に努めることが会社の発展になると信じ、
会社を愛し、家族を愛し、顧客を愛し、責任と勇気を持って本気で挑戦し、
社会に貢献できる事を誇りにします。
社訓
一、挑戦 | 私達は失敗を恐れず、挑戦し続け、「挑戦の先にのみ喜びがある」、「挑戦こそが始まり」と信じ、私自身「挑戦」し続けます。 |
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一、顧客 | 「お客様」「従業員」「業者」私に携わるすべての人を「顧客」として接し私自身常に「顧客」として行動します。 |
一、愛情 | 私に接するすべての人に愛を与え、「愛」の意味を深く理解し、すべての人に「愛」を持って接し、何よりも自分自身を愛します。 |
一、責任 | 私はすべての「行動」「発言」に「責任」を持ち、逃げることなく立ち向かい私自身の「責任」の器を広げます。 |
一、信念 | 私は強い「信念」を持ち、情報に左右されることなく、常に「信念」を磨き続け、何事にも、「断固たる決意」で臨みます。 |
一、本気 | 私は何事にも「本気」で取り組み、「本気で取り組んだ行動のみ成功につながる」と信じ、何よりも自分自身「本気」で行動します。 |
一、勉強 | 私は生涯「勉強」し続け、世の中すべてのことが勉強になると信じ、自分自身のために勉強します。 |
一、持続 | 私はすべてのことに「信念」と「愛情」を持って、「本気」で「挑戦」し、「責任」のがれをすることなく、「顧客」の立場で考え「勉強」することを「持続」します。その行動こそが社会への貢献になると信じます。 |
代表あいさつ
私たちダイスマネージは、2004年に3名で飲食店コンサルティング会社としてスタートしました。弊社自身も波乱万丈に荒波を乗り越えてきましたが、現在はこの飲食店コンサルティングに加え代理店ビジネスと飲食経営という3本柱で営んでいます。
学生のころから多くの経験を積んできた飲食店でのノウハウを、困っている悩んでいる人々に提供できないか?という思いでスタートしました。弊社の理念でもある「食を通じすべての人に貢献」という姿勢が私たちは基本にあり「もらうのでは与える」という姿勢が大変重要だと考えています。「期待を裏切らない」「頼んで良かった」と言って頂ける仕事を心掛けてきました。だから現場感覚、皮膚感覚をもって取り組めたと思っています。
「もらうよりも与える」「~してくれないと思うより、自らする」「浪費を投資に変える」この思いを胸にコンサルティングを実施し、現場感覚から効果があるという販促商材の「Tポイント」「食べログ」「LINE公式アカウント」「ヒトサラ」でお客様の売上UPのお手伝いをし、また直営飲食店では地域に密着したぬくもりが伝わるお店空間とご満足頂けるお料理をご提供していきたいと考えています。そして、これからも未来に目を向け、従業員が弊社で働いて良かったと言ってもらえる企業づくりに努めていきたいと思います 。
有限会社ダイスマネージ
代表取締役山田 光一
ダイスマネージ物語~起死回生の物語~
ダイスマネージがたくさんの方々にご愛顧いただくまでには、たくさんの紆余曲折があり波乱万丈な物語もありました。
創業者の山田光一から、ダイスマネージ誕生から現在までを物語形式でお話ししたいと思います。
創業のきっかけ
卒業後、父親が経営していた飲食店で働き始めて1年が経過したときに父親と意見が対立し、家出同然で飛び出したのが1991年。今思えば「ダイスマネージの誕生」はここから始まったように思います。
定職もない若造に家を貸してくれる不動産屋はなく、アルバイトをして車で寝るという車上生活が数カ月続いたある日、ふらっと入った不動産屋でいつものように「定職と保証人がいないと貸せない」と断られました。すると奥からでてきた不動産屋の社長が「居酒屋に勤めていたと聞こえたが、居酒屋するか? 居酒屋したいと思ってたんやけど任せる人がいなくて自分みたいに若くてハングリーな子探してたんや!やってくれるなら部屋借りる費用は全部貸してあげる!」と声をかけてくれました。
「もちろんやらせてください!」そこが初めて自分で一から作った居酒屋です。
3年ほど経過し売上は順調でしたが、オーナーの不動産屋が破産し倒産。もちろんお店も閉店となってしまいました。
それから10年後の2004年「バドワイザーカーニバル」で一世を風靡した飲食チェーンに勤務して「北の家族西日本業態長」として数店舗の管理をしていた私に、10年振りにあの不動産屋の社長から電話がありました。「あれからまた不動産屋を復活して、1年前から焼鳥屋を始めたんやけど全くうまくいかない。赤字続きで閉店を考えて困っていたときに思い出して電話してみたんやけど」という内容でした。たまたま私の担当していた居酒屋が取材を受けたテレビ番組を見て、私を思い出したようです。
昔の縁もあり相談に乗ることにしました。店は南河内郡美原町という町工場が点々とある田舎町にあり、立地からとりあえず安く呑めるようにしたという焼鳥店でした。月商は100万ほど。この焼き鳥店の再生こそがダイスマネージの最初の仕事でした。
手ごたえを感じていざ会社設立へ
コンセプトの明確化、看板商品の徹底販売という2つのポイントのみの改善策でしたが、月商100万の焼鳥屋が半年後には月商300万にまで飛躍的に上がりました。
300万売上になったお店で不動産社長が私に「俺みたいにちょっと儲かったら飲食したいという人はいっぱいおる。でもそのほとんどはノウハウがなく失敗している。お前のように飲食のノウハウがあるなら、飲食のマネージメントが商売になるよ。独立してやってみたら?」というのです。
当時の私は勤務先に業態長として西日本のマネージャーとして勤め、仕事内容にも給料にもなんら不満はありませんでしたが、「不振店の再生」というやりがいのある業務には魅力を感じました。
それから数日後、なんとなく社長の「独立したら?」という言葉を思い出していたときに机にあった「サイコロ」が目につき、なんとなく「奇数がでたら独立でもしようか!」と感じてサイコロを転がしました。すると「1」という奇数が!なぜかわかりませんが、その日に退職届を提出し独立することになりました。
独立し飲食店のコンサルをする!と不動産屋の社長に伝えると、「このお店の権利をあげるから、直営しながらコンサルティング業務をしたらいい」「いくら売上が3倍の300万になってもノウハウがないとまたすぐに売上が落ちるのは目に見えている。だからお前に譲る」とのこと。
譲ってもらっても独立してすぐに人を雇うことは恐怖でした。ましてや当時私の部下や同僚には、嫁や子供もいて年収もそこそこ。そんな人の人生をサイコロで独立を決めた俺には重たくて雇えない。そう悩んでいると当時お店でアルバイトをしていた男が目に入りました。そのバイトの2名を呼んで「俺、独立して飲食店するけど就職せーへんか?」と声をかけました。「大学に行っててアルバイト先のマネージャーが独立するから一緒にする、って親によー言いませんわ」とかなり強く断られました。
「よし、サイコロ振ったら絶対に奇数がでるから、奇数がでたらうちに就職しろ!偶数がでたら諦める!」すると二人とも奇数がでたのです。なんどサイコロを転がしても奇数です。。こうして私を含めこの3名で2004年に「焼酎と鮮魚の店 千尋の道」の直営と「飲食コンサル」の2本業務で独立することになりました。
経営不振店の再生にかける
居酒屋チェーンのおすすめメニュー開発や広告宣伝のお手伝いをさせてもらいながら、神戸にある飲食店の売上不振再生業務を委託されました。内容は飲食店を3業態運営している会社様の海鮮居酒屋の売上がピークの半分になってきているので、なんとかピーク時に戻したいというものでした。
オーナー様と現場の様子を見て「この再生は現場に入って従業員の意識などを根本から変えないと成功しない!」と直感でわかり、6カ月間のコンサルティング業務をスタートさせました。
起業して初の再生案件がまさかの大成功!
半年間のコンサルティングで、うそのように神戸の海鮮居酒屋は月商650万だったのが月商1,100万を超えるまでに大成功。そのころから弊社コンサルティングへのご依頼を多数頂けるようになりました。そして居酒屋業態では日本初となる「足湯居酒屋」を提案し、日経新聞や各情報番組、NHKのニュースにまで取り上げていただくまでになりました。
コンサル事業がうまくいっていると、前職の上司から「自社ビルで営業しているお店が全く不振なんで閉店したい。しかし空き物件にはしたくないので昔の縁でその店舗を借りてくれないか?」というお話がありました。「焼酎と鮮魚の店 千尋の道」が順調で、起業時のメンバーもお店を任せられる責任者にまで成長していたこともあって、このタイミングでの新規出店は弊社にとっても意義のあることでした。道頓堀中座跡ビルに「生もんや 生右衛門」の誕生です。まさか開業2年で道頓堀のド真ん中でお店を開業できるとは夢にも思いませんでした。
その開店から1年後には不振店再生事業も各方面からお声がけいただくようになりました。飲食事業部は大阪梅田お初天神で「さくっとばんざい」を開店させ、5年以内に10店舗の新規出店予定を立案できるまでになりました。また福井県にある商業施設のプロデュースの依頼を受けるまでにもなりました。しかし、道頓堀の生右衛門、福井の商業施設のプロデュース、この弊社にとっての大きな2つの事業が後にダイスマネージをどん底に落とすことになるとは夢にも思っていませんでした。
大繁盛から一転……借金を抱える大事件
「各業者さんから今月分の支払いがない。総額700万弱になる」という連絡が、福井県商業施設責任者のMGから入りました。確認で受注元に連絡すると「急病で緊急入院して、振り込み決済が出来ていない。退院は来週になるので立替えて欲しい」という要望がありました。
初めてお会いした時からペースメーカーを使用している社長だったのでなんら疑うことなく700万を立替えて支払い、 数日後退院した社長から700万を返金してもらいました。ところが翌月も同じように支払日近くに緊急入院、その翌月も。。。。結果1,500万を立替えたところでその社長から返せないと言われました。交渉を繰り返せども、最後は逆切れ感満載で「契約不履行で訴える!返金はしない!」と言われ裁判を申し立てることに。
その悩みを抱えながら事務所で仕事していると、弁護士の名前の差出人で1通の封書が届きました。もしかしたら福井の社長が飛んだか!と思い中を確認すると「御社が賃貸している中座ビルをオーナーから○○社が買い取りました。賃貸契約は引き継ぎません。1年以内に退去してください。また退去までの1年間は家賃相当額を○○社に支払ってください」という驚きの内容でした。
このビルのオーナーは前職の会社です。すぐに元上司や役員たちに連絡しました。「○○社とは話が付いていて1年後にまたこちらの別会社が買い戻すことで合意しているから大丈夫。家賃相当額を払うことはなくて、今まで通りこっちに家賃として支払っていれば問題ない。○○社から請求が届いても、こちらに払っていると言えばいい。もし出ていくことになっても、立ち退き料とか営業補償などは○○社に請求できるから」というので元上司を信じ、家賃は前職の会社に支払いました。その額月80万。もちろん○○社からは毎月家賃相当損害金という名目で請求書が送られてきました。その額は約90万でした。
それから1年後の退去命令がでる数日前に前職の会社が破産したとニュースが流れ、役員含め元上司と連絡が取れない状態に。結局、前職の会社に支払った家賃総額1,000万は無効で、○○社から1,500万の損害請求の訴訟を起こされ、中座ビルの「生右衛門」は強制退去。時同じくして、福井の社長が破産宣告し1,500万が消えたのです。
福井の件と中座の件で合計約3,000万。 潤風満帆だった時から大転落。現金3,000万で会社は倒産寸前でしたが、それよりも急に職を失うことになった7名の社員の行き場所がないことが問題でした。
生もんや 千尋の道で再出発を誓う
どうするか?悩みに悩んで気づいたことがあります。
「そうや!俺はいつも不振店再生をして結果を残してるやんか!今度は自分の会社を立て直せばいいんや!」ではどうするか?7名の社員を雇用しながら会社を立て直すには「月商300万の千尋の道を月商1,000万にするしかない!」という無謀な結論になり、あちこちに頭を下げて5,000万の借金をして、「焼酎と鮮魚の店 千尋の道」を大改装。客単価を1,000円上げて「生もんや 千尋の道」を開店し、再出発を決意しました。それから3年は他のコンサル依頼はすべて断り、自社の再生に集中しました。1年目の月商平均は450万、2年目は500万、3年目で550万となりました。その3年の間には創業メンバーも気を使ってくれてか英退してくれて人員の整理も進み、倒産危機を乗り越えることができました。
未来につながる新事業部の立ち上げ
「生もんや 千尋の道」の再生業務と自社の再生業務を3年かけて行い、ようやく光が見え始めてコンサル事業の再開をしていこうと考えていると、1件のメールが届きました。
「食べログというグルメサイトを立ち上げ、有料サービスを試験的に行うことになった。試験的にサービスを受けてくれる飲食店を紹介してもらえないか?」という食べログからのメールでした。「食べログ?なんや?よくわからんけど?」
3年間自社の飲食店の再生しかしていなかったダイスマネージだったので目新しく感じ、「食べログの代理店」として今まで全くしたこともない「営業」という分野の仕事を始めました。
食べログの代理店活動をし始めて1年経過したとき、千尋の道を改装してくれた内装業者の社長から電話があり、「Tポイントがこれから一般のお店でも使えるようになっていくらしい。お前、食べログとかの営業をしているならTポイントの営業もしたら?これからはポイントの時代が来るのと違うか?」という連絡でした。早速、Tポイントの本部に連絡を入れて代理店として活動をスタート。これを機に、本社を堺東に移転して「堺東営業部」という営業部署を立ち上げました。
それから4年後、2016年のダイスマネージでは、「生もんや千尋の道」は大改装から8年経った現在も前年売上を超え、堺東営業部は「Bubble90」「LINE公式アカウント」「LINEバイト」などの取り扱い商材が増えていきました。
ダイスマネージにはいつも
元気な若者・
愉快な仲間
がいてくれる。
今振り返ってみれば、独立の経緯や立ち退きや倒産危機などのすべてがダイスマネージにとっては必要不可欠なことだったと思います。色々なきっかけやタイミングで独立していった若者もいれば、営業職という分野で入社してきた若者。飲食ビジネスにやりがいを感じてくれた若者。いつもダイスマネージの節目には元気で愉快な仲間がいてくれたように思います。
2019年を迎え、設立20年を目指して新しい仲間も増え、まだまだ奮闘中のダイスマネージ。
日々チャレンジの精神とすべてを欲しがる欲望を胸に、いつも笑顔でやりがいのある未来に続けていきます!